僕は故郷福岡のことを中途半端と評していました
福岡市に筑肥線(福岡市営地下鉄)や西鉄天神大牟田線によって連なるベッドタウンと、ほぼすべてが天神・博多に集うコンパクトな市街
その市街も東京の各拠点の最低限のものをピックしたようなものでピークを感じにくい
人々は東京から3〜5年は遅れてやってくる文化をナウいものとして、東京の文化にすら排他的になる
おすすめできる観光地も特になく、ご飯が美味しいよとしか言えない街
九州各地からの憧れとしては器用貧乏すぎる街かなと
福岡タワーもまあ。。。タワーだよね、百道、うーん、ホークスタウン潰れたよね
いま中心街の天神が再開発されていますがどういう街になるのでしょうか
さて中途半端は欠けとも捉えられまして、不完全とも捉えられます
左右別々の靴下や片脱ぎの靴や、整然の中の散らかり、汗
欠けには隙を感じるのが現代で、人はそれを萌えだとかなんだとか、そういう言葉を充てがいがちですね
しかしこの欠けを徹底的に貫いたものがあったとして、それに人は隙を感じるのでしょうかね
混沌が秩序にならないギリギリのラインとはなんだろう
以下余談
去年の今頃の僕にとって絵を描けるということがどれだけ幸せで余裕のある行為だったのかを感じます
健康を制御することで頭がいっぱいでしたね
何かを為した幸せによって好転させようとしても、行動のすべてが空回りして抜け出せないことが多かったです
実際はよく寝てよく食べる、これしかなかったです
今はそうだなあ、数にカウントしてほしいなあ
ぽんっ
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